東大生弟のザコな姉

【東大生の母いわく】「人よりもちょっと出来る自信を持たせる」のがポイント

この記事書いているのはこんな人

東大生の弟を持つ姉。
姉自体は特になにも能力持ってません。
東大生の弟とたまたま一緒に育てられた凡人です。

誇らしくはありますが若干コンプレックスでもあります。
せっかくこんな体験したので自分が将来子供を育てる時とかにも
参考になるような母がしていた子育てなどの記事を書きます。

こんにちは、東大生の弟のザコな姉です。

先日、ふと小学生のころのことを思い出し、
母と話をしました。

東大生の弟くんもその姉である私も、
幸せなことに小学生のころ何かが苦手で学校に行きたくないと
思ったことはありませんでした。

むしろ、母の努力のおかげで、
何事も平均よりも上くらいに出来るようにさせてもらっていたので、
小学校の学校生活は先生から褒められることが多く、
学校に行くのが毎日楽しみでした。

小学生が学校に行くのが憂鬱な理由としてよく聞くのが、
マラソン、50メートル走、プール
など、目に見えて人と差が見えてしまうものや、
人と比べて自分が劣ってしまっているように感じるようなものが多く感じます。

そこで今回は、東大生の弟くんの母が実際に私たち子供にしてくれていた、
自信がついて学校に行くのが楽しみになった方法
を紹介します。

目次

  1. 東大生の母はどのように子供に自信を持たせたのか?
  2. 学校でプールが始まる前の土日
  3. 持久走大会前の秘密の特訓
  4. まとめ

東大生の母はどのように子供に自信を持たせたのか?

ポイントはただ一つ。
何事も人よりちょっと出来るようにさせてあげるのがポイント。

私も最近になってふと気がついたのですが、
母は学校で子供がつまずきがちなイベントがある前は
必ず練習に連れていってくれていたのです。

今考えれば、確実にこの母の行動が、
私たち子供に学校生活での自信を持たせてくれていました。

学校でプールが始まる前の土日

例えば、毎年学校のプールが始まる1カ月くらい前になると、
温水の市民プールに週一で連れて行ってくれて、
去年の泳いだ感覚を思い出させます。

小学校1、2年生の時はスイミングスクールに通っていたのですが、
クロール、背泳ぎ、平泳ぎが出来るようになったタイミングで
弟くんも姉である私もスイミングをやめました。

スイミングを辞めた後は
毎年プールが始まる1カ月前から土日になると、
プールに連れて行き練習させてくていました。

弟くんも姉である私もプールはもともと好きだったので、
「やったーひゃっほー」という気持ちでした。

母に去年の泳いだ感覚を思い出させて
学校でプールが始まった時難なく泳げるように
なんて戦略があって、
練習させてくれていたなんて思ってもいなくて
ただ遊びに来ているのだと思い冷たく気持ちよいプールで遊びを満喫していました。

小学校ではスイミングの級というものがあって、
13級から1級まであったと思います。

13級はのびが出来るなどで、
6級くらいになるとクロールが50メートル泳げる。
1級近くになるとクロール25メートルが〇〇秒以内などでした。

小学校の授業ではその級に基づいて、
3つのグループに分かれて水泳の授業をしていました。

弟くんも姉である私も、
母がプールが始まる時期の少し前の土日に
プールに連れて行ってくれていたおかげで、

毎年上級クラスで水泳の授業に参加できてました。

やはり、子供時代は自分が得意な授業や
活躍できる授業があるだけで、
学校に行くのが楽しみになるものでした。

プールがあまり得意ではない子は「プールの授業見学したいな」
とよく言っていたのを耳にしていました。

なので、最近母から聞いた、
「何事も人よりちょっとできるのがポイント」というのは、
間違ってないなとこの頃ものすごく感じます。

持久走大会前の秘密の特訓

持久走大会の前にも、
土日のどちらかで週一回は公園に連れて行ってくれて、
学校の体育でクラスメートと練習することにプラスして
人より少し多めに練習させてくれました。

友達には内緒で土日に多めに練習していたので、
これを我が家では秘密の特訓と呼んでました。

友達たちに練習していたことは隠していたので、
早く走れることに対して、
「なんでそんなに早く走れるの?」
と聞かれて小学生の頃は少しうれしかったです。

マラソンの練習は好きでも嫌いでもなくて、
「汗かくしめんどくさい」という気持ちだったのですが、
母の走った後はアイスを買ってくれるという戦略に見事はまり、
アイスのために走ってました笑

その結果、一学年100人ほどの小学校だったのですが、
東大生の弟くんも姉である私も
マラソン大会では6年間10位以内に入れていました。

そのおかげで、学校のマラソンの授業も苦ではありませんでした。

褒められることと注目されることが大好きだった小学生の私は、
意気揚々とマラソンの授業に参加していました。

マラソンの授業と、持久走大会に楽しく参加出来たのは
やはり、「何事も人よりちょっとできるのがポイント」という
信念に持ち育ててくれた、
母の力だなとしみじみと感じます。

まとめ

小学生時代を振り返って、
当たり前のように学校に楽しく登校出来ていたのは、
母の隠れた努力あってこそだったのだなと20代になった今感謝します。

思い出してみれば、プールに連れて行ってくれた時には、
母は外から見学しているのではなく、
毎回、母も一緒にプールに入って見守ってくれていました。

大人になった今、私も「将来子供に同じことをしてあげられるか?」
と考えると、自信はないです。

ただ、母の「何事も人よりちょっと出来ることがポイント」という
信念のもと、行動してくれたおかげで、
小学校時代、得意なことが増えて学校が楽しかったことはよく覚えています。

私も母を見習って、将来子供が笑顔で学校に登校し、
得意げに私にうれしい報告をしてくれたらなと思います。

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